田麦俣の風景、そしてこの学び舎と知りあってからというもの、よく自分の中学校の頃を思い浮かべます。
私は戦後間もない生まれなので、学校を出ると、手に職をつけた方が良いということで、専門学校に入り丁稚奉公に行かされました。卒業と同時に仲間はみんな散り散りになったものです。まさに生徒の半分くらいは集団就職の時代でした。
当時私の通っていた中学校にも、15キロほど離れた山奥の鉱山に分校があり、毎年何度かの交流会がありました。分校の人たちと一緒に夏には川で泳ぎ、冬には山でスキーを履いてツララをかじりながら駆け回っていたものです。
何もないところでしたが、思い起こせば子供の頃の遊びというのは限りなく、創意工夫しながら野山で過ごした日々は、とても充実していたように思います。
今はその多くの想い出を胸に、ここ「たにしの楽校」に通い続けています。
平成29年12月28日 どんどん祭
たにしの楽校で、ときどき地域の子供さんたちと触れ合っていると、この時代、私たち大人は何をしてあげられるのか考えさせられます。
社会がどんどん便利になっていくにつれ、ややこしい時代になり、普遍的に大切なものが失われやしないか心配になったり…。
それでも、この廃校で元気に明るく遊んでいる子供さんたちを見ていると、かつての私たちの頃とあまり変わらないようにも思えてきます。
自然が厳しく、不便なへき地での生活をしているからこそ、見えてくるものがあるのかもしれません。まるで、校庭の桜の木が語りかけ、教えてくれているようです。
子供さんたちが皆、夢と希望を胸にしっかりと歩み続けて行ってほしい、そんな気持ちからも、もっともっと桜の木が増やしていけたらいいなと思ったり。私自身は、この楽しい「たにしの楽校」から、卒業したいとは思いませんが…。
「人間にも動物にも好き嫌いがあって、好きな人とだけを大切にし、嫌いな人だからと排除してしまっては、人間社会は成り立たないんだ」
いつかそう教わった“こころの規則”。時を超えても強く心に残っているのを思い出します。
目に見えるものよりも、目に見えないことの方が大切だったりする、それが私たちの社会なのかもしれません。そして、そういうことは人だけでなく、自然や地域など周りの環境から学びとることも多いのではないでしょうか。
歴史は事実を語り、未来に繋ぐといいます。
たにしの楽校の歴史は、今もなお、こころ休まる学び舎として、ここ田麦俣に在り続けています。
▼たにしの楽校の資料より (クリックで拡大します)
雪囲いが外れるまでもう少し!